2019年02月11日

現代地方譚6 アーティスト・イン・レジデンス須崎関連企画『須崎のまちの物語?』(リーディング公演)








'19. 2. 3. 現代地方譚6 アーティスト・イン・レジデンス須崎関連企画『須崎のまちの物語U』(リーディング公演)


会場:須崎市立市民文化会館大ホール(舞台上舞台)





 前作を観たのは、ちょうど一年前になるが、企画タイトルとしてチラシに記されている「現代地方譚6 そこに生き、そこに在る。」との言葉が示す、土地に残る生活感が宿っている点が好もしかった。





 だが、映画でもそうであるように「Uもの」にありがちな鮮度の減退や既視感からは今回の公演も逃れ難く、とりわけ駄菓子屋の老女が口にするリフレインが、ともすれば前回作品のなぞり趣向に映ってくる部分もあって、リーディング公演による読み手の好演には味わい深いものを覚えながらも、なんかパターン化のようなものを感じた。そのせいか、最後の「みかんボールガムの月」には感傷よりも笑いが浮かんできた。





 また、三話のうち一話は戦争の痕跡を残そうという企画的了解事項があったのだろうか。ある種の義務感的な現れ方をしているように感じられる部分があった。披露されたのは『みかんボールガム』(作・演出:サカシタナヲミ)、『洞窟と波の音』(作・演出:西本一弥)、『笑マストゴーオン』(作・演出:谷相裕一)というそれぞれのテイストが際立って異なる三作品。なにゆえ途切れ途切れに継ぎ接ぐ構成にしたのだろう。





 前作では、それぞれ聴き取った地方譚を繰り広げる合間を三人の女性の雑談めいた「まちの声」でつなぐ構成にしたことが功を奏して、須崎という土地が主題であることを鮮明にしていたけれど、それがなくなったために「まち」の部分が抜け落ちてしまった気がする。それぞれの聴き取り話それ自体に須崎特有の物語などを求めることは難しく、また、あまり意味があるとも思えない。普通の町に普通にありふれた“ちょっと耳寄りな話”があるのが地方譚なのであって、そういう話が「このまち」で拾われたものであることを示す部分は、むしろその話自体のなかにはなくて当たり前なのだと思う。前回公演の三作品でも、それ自体で堂々たる「須崎のまちの物語」になっていたのは『銀の海。銀の魚。』だけだった。





 今回は、個々の作品のいずれにも『銀の海。銀の魚。』のような「須崎のまちの物語」がなかったにもかかわらず、「まちの声」の部分まで除いたために「須崎」が抜け落ちたのだろう。三作品を途切れ途切れに継ぎ接ぐ構成を取れば、「まちの声」でつなぐ部分を除く外ないのは自明なのだが、敢えてそうすることで得られた効果があるようには感じられなかった。むしろ「まちの声」を失っただけではなく、テイストの異なる作品を途切れ途切れに継ぎ接ぐことで、せっかくの芝居の感興を分断することにしか、僕には作用して来なかった気がする。





 加えて、『みかんボールガム』だけでも前回ほどには感興をもたらしてくれなかった可能性のあるリフレインを、『笑マストゴーオン』での「めった、メリヤス、メリケン粉」で重ねつつ間に挟んでくることで、『みかんボールガム』での駄菓子屋の老女が口にするリフレインの効果を著しく減退したような気がしてならない。それぞれの演者(読み手)は各自のスキルに見合った力量をいかんなく発揮していたように思うし、聴き取りに材を得た話そのものには血の通った生活感があって、いずれも悪くない話のように感じたが、全体構成が僕の意に沿わなかったために前作のような感興は得られなかったのが残念だった。





(前回公演の観賞メモ)











  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/


     (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

     (『ヤマさんのライブ備忘録』)




posted by アーツワークス at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・パフォーマンス系
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185537344
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック