2018年11月25日

からくり劇場公演No.3『歌わせたい男たち』









'18.11.23.     からくり劇場公演No.3『歌わせたい男たち』

会場:蛸蔵




 永井愛の作品は高知市民劇場で'00年に二兎社による『パパのデモクラシー』を観て以来、同年のテアトル・エコーによる『ら抜きの殺意』、'14年のグループる・ばる による『片づけたい女たち』を観ている。『ら抜きの殺意』については、からくり劇場を主宰する松田昭彦や今回、校長の与田を演じた谷山圭一郎が属していた演劇センター'90による'07年の公演( http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/07/11-18.html )でも観ていて、かなりお気に入りの作家なのだが、十三年前の作品となる本作も実に観応えがあった。




 今の世の中の空気を作ってきたものが何なのかを噛み締めるうえでも、改めて取り上げるに足る作品だと感銘を受けた。根強い反対世論を押し切って法制化された国歌「君が代」自体の是非はともかく、改革の名の下に教育現場を蹂躙した石原都政での東京都教育委員会の問答無用の締め付けのもたらしたものがよく捉えられていたように思う。報道等で見聞した範囲でしかないが、本作に描かれた出来事は全て思い当たるものばかりだった気がする。君が代も日の丸も口実でしかない感じがひどく不快だった覚えがある。それなのに、表立っては国旗国歌の部分での応酬をせざるをえないものだから、どんどん捻じれ歪んでいっていたように思う。




 石原慎太郎は『太陽の季節』の映画日誌( http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2014j/25.htm )にも記しているように、僕の最も嫌いな人物なのだが、その石原都政化で起こったことを垣間見ることが、今また現政権の画策している強引な憲法改定が何をもたらすか示唆しているようで不気味だった。




 単なる法制化で、国会では絶対に強制などはしないとされたものでさえ、国が直接強制しなくても東京都が全国に範を見せるのだと息まく足場を作り、地裁で不当判決が出されても最高裁で覆して、世の中の空気を変えてきたのだから、ましてや憲法なのだ。本作でも焦点は「君が代」ではなく、憲法第19条だった。自民党の憲法改正推進本部が示している平成二十四年改正草案でも手が入っていて、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」として国権を縛っていた表現から「思想及び良心の自由は、保障する」となっている。言葉巧みに、侵害を理由に異議を申し立てることが封じられ、国権側が保障の形を決めることのできる文言に変わっている。どんな形であれ、一定保障していることさえ示せば、憲法違反を問われることがなくなる条項に形を変える草案にしたわけだ。本作の終盤で与田校長が屋上から演説していた最高裁判決の趣旨そのものだと思った。




 だが、そういった事々よりも当夜の芝居を観ていて、最も心打たれたのは、国歌斉唱強制への抵抗を貫こうとする社会科教師の拝島(刈谷隆介)とお国訛りが通じ合う元シャンソン歌手の新米音楽教師(小野純子)が、拝島のために♪聞かせてよ愛の言葉を♪を歌い、それに応えて拝島が眼鏡を外して置いて出て行く場面だった。歌というものは侮れない力があるとしみじみ思う。♪暗い日曜日♪は、エリカ・マロジャーンの出ていた同名映画のサントラCDも購入している曲だし、♪パダンパダン♪もなかなか強烈で印象深い歌だ。そう上手には歌われていなかったのに、却って迫ってくるものがあった。




 また、若い英語科教師(中城賢太)とは明らかに異なる苦衷を抱える与田校長が、決して変節漢には見えてこないことが重要なだけに、谷山圭一郎の配役がとてもよく嵌っているように感じた。そして、社会の軸足が変わってしまうなか、ぶれないでいるだけで「軟弱な…」から「ガチガチの…」に変わってしまった世の中のほうの変節に抗う頑なさのなかに、殊のほか重要な“誠実さ”をきちんと宿らせていた刈谷隆介にも感心した。




 すっかりオカシナ世のなかになってきている状況を踏まえてか、当日配布リーフレットにご挨拶として「劇団のイデオロギーについて」と題し、「…劇団として特定の思想やイデオロギーを持っているわけではありません。…純粋に作品として楽しんでいただければと思います。」というような妙なエクスキューズも添えなければいけなくなっているのが今の状況なのだ。だが、本作は、イデオロギー的な捉え方のできる作品であると同時に、イデオロギーとは別のところのヒューマニズムにおいて看過できない問題を最も強く訴えている作品であり、いま何かと喧しいブラック企業の問題などにも通じる話なのだ。そういう意味でも、志ある作品選択に感銘を受けた。




 そして、激しい論争の長台詞の続く芝居のなかに、緩衝材として元シャンソン歌手の音楽教師が配されていて、シャンソンのみならず、お国訛りの件も含めて、それが十分以上に機能していた気がする。なかなか大したものだと思った。
















  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/


     (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

     (『ヤマさんのライブ備忘録』)





posted by アーツワークス at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・パフォーマンス系
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185070799
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック