2018年07月29日

【演劇祭KOCHI 2018】









会場:藁工蛸蔵


'18. 6. 3. 劇団まんまる【徳島】 第4回公演『吃音ヒーロー』

'18. 6.10. カラクリシアター 『エデンの月』

'18. 6.17. TRY-ANGLE act.28 『ライフレッスン』

'18. 6.24. パッチワークス第5回本公演 4都市ツァー【愛媛】『「∩」積集合』

'18. 6.30. 立本夏山ひとり芝居【東京】 『智恵子抄』

'18. 7. 7. 劇団シャカ力 『ギラギラ薬局』

'18. 7. 8. アフターエンカイ




 今年の演劇祭KOCHIもまた県外からの参加劇団が3つあったものの、ラリー参加公演数は6と半減してしまった。連年参加も昨年から2団体減って3団体となり、シャカ力、TRY-ANGLE、劇団まんまる【徳島】となってしまった。事務局団体を担っているシアターホリックが演劇祭参加から外れた事情には劇団員不足もあったようだ。また、かつては公演参加劇団に義務づけられていたように思うPPT(ポスト・パフォーマンス・トーク)をプログラムに構えている劇団がシャカ力と徳島からのまんまるだけになってしまっているのは、とても残念だ。PPTやアフターエンカイを盛り立てていくことこそが、地道ながらも観劇ファンを育て広げることになるように思うのだが、何年か前にアフターエンカイが劇団交流のほうにシフトしたことでの得失の感じられるものになっていたような気がした。





 演劇祭開幕公演は、県外から三年連続で参加している徳島の劇団まんまるが初の長編劇に挑んだという『吃音ヒーロー』だ。

 笑いや幸福感を得ると体が衰弱し死に至るというアベコベ病を娘オルカ(東條優紀)が患ったことによって、領主ドルフ(鵜戸昌実)が芸術や笑いに禁制を掛けてしまったワイトリーユという町を、吃音の劇作家キツオ(小川真弘)と演出家ニナオ(大木茂実)率いる旅芸人が訪ねる設定になっていたが、そんな統制などなくても言いたいことをきちんと言えなくて口籠らずにいられなくなる世の中が近づきつつあるということを意識しているような気がした。そのことに対しては、オルカを慮って(近ごろ流行の言葉で言うなら“ソンタク”であろうが)笑いが封じ込められることを、当のオルカは決して求めておらず、むしろ死に近づこうとも笑いと幸福感のほうを求めていたことが明示されていた点が気に入った。

 だが、PPTで聴いた話からは、作者の丸山裕介【サーディン】は、そういう社会的な潮流のようなことよりは、もっと普遍的な弱者の声としてキツオの吃音をイメージしているようだった。そのほうが穏当なのかもしれない。そういうパーソナルな部分に向ける視座からすれば、確かに小川真弘が語っていたように、生きていてこその人の命なのだから、オルカに芝居を観られてしまったことを悔いるキツオの心情というのもあり得るなと思った。

 でも僕は若い時分から、やはり「人はパンのみにて生くる者に非ず」と考えるほうだし、還暦も過ぎるともっと身近な問題として寝たきりだけの生活で生き延びたくはないとの思いが強くなっている。人の死生観はさまざまあって然るべしだと思うけれども、僕は、幸福な生が得られぬのならば、惨めな生よりも幸福な死のほうが望ましく感じるので、オルカの最期を肯定的に捉えたいと思うし、本作の設定からすれば、まさに然るべき結末だったように思う。あえて吃音の劇作家を設けていることに対して、社会的な潮流に対する意識を読み取ったものだから、余計に僕にとっては、そこは“必然”とも言える部分になってしまう気がする。

 妙に可笑しかったのは、イールを演じた藤本康平のモミモミ,クリクリ,スリスリの手付きとそれを目にして如何にも嫌そうに憤っていたオルカを演じた東條優紀の表情だった。第3回公演『出航!まんまる丸! in 高知』の『ニシン』で見覚えのある股間から長く伸びた逸物ウマも劇団まんまる印みたいで可笑しかった。また、おしなべて皆、声と発声がいいように思う。叫びがちゃんと叫びになっていて耳に障らないことに感心した。レティシアを演じた清水宏香は麻生久美子に声が似ているように思った。  




 カラクリシアターによる『エデンの月』では、貴志(おっかん)の言っていた“ひと夏の恋”の思い出ひとつできないことと、美月(YU☆KI)が見舞われていた記憶の喪失はあっても身体に深く刻み込まれた生の痕跡を得ていること、劇タイトルが示すようにアダムのあばら骨から作られたイヴのごとき存在として星野大地(かりらり)が二十年ものあいだ囚われ続けている美月への執心の、いずれが人にとっての幸いなのだろうなどと思いながら、お気に入りの映画『コキーユ 貝殻』( http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2000j/04.htm
)['98]を思い出した。

 いささか腑に落ちなかったのは、太陽の光を見ることができないからの夜のプールでの事故があり美月の記憶が喪失したように思うのだが、記憶のメタファーとしてのあばら骨をDr.梅内(からくり敬三)によって抜き取られたことで「うさぎ病」という記憶喪失のメタファーに見舞われ、あばら骨の適合移植が必要になっているという美月の事情との不整合だった。だが、星野大地もまたDr.梅内のもとを逃走した者として語られていたようでもあり、さすれば、Dr.梅内というのは創造主たる神のメタファーなのかということにもなる。だとすれば、どこか映画『神様メール』(
http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2017/27.htm )['15]にも通じるニュアンスを帯びてくるような気がする。

 しかし、作者(谷山圭一郎)としてはそういった宗教的な関心はあまりなかったのではなかろうか。それよりも“最後の怪優”を看板とする役者のために、前作『路地裏のメモリー』でのDr.パピーに相当するキャラクター造形が必要だったような気がする。それにしても、芝居というものは面白く、また難しいものだ。『コキーユ 貝殻』を想わせる「十六歳の時の恋とその思い出」を主題とみるならば、本作のDr.梅内や、掏れないものは何もない神業スリ師の梅子(まるみ)の存在は、物語的に必要ないのだが、これは一体何者なのだと観客の視線を惹きつけ、その意味するところに観客の思いを引き寄せる仕掛けとして物語を牽引するうえでは、その怪優ぶり怪演ぶりが思いのほか有効に作用しているように感じた。少なくとも同じ手法を映画で講じても、よほどの芸達者が担わなければ、観る側を納得させられないような気がする。

 また、最後の喪服での葬送と思しき演出からは、束の間取り戻した記憶の共有により三十六歳で心中したと思しき、美月と大地なのだが、YU☆KIの演じる美月に三十六歳は無理としか思えないのに、その醸し出すある種の透明感が十六歳以降、世間に出ることもないサナトリウム暮らしをしたことでの世間擦れのなさとして、違和感をもたらさないどころか役柄に嵌っているように感じられたことが興味深かった。これもまた、舞台なればこそのことのような気がする。




 TRY-ANGLEの演目にいかにも相応しく、二匹の兎の名がアリスとテレスになっていた『ライフレッスン』は、開幕前の舞台を観て、役者の入退出は客席側から行うのかと思ったほどにぎちっと舞台装置が組み込まれていた閉塞イメージからすると、少年(三上綾佳)の父親(領木隆行)以外の人物は全員、引き籠りになっている少年の心中に立ち現われてきた者ばかりだったということなのだろう。とりわけ重要なのは、少女(山本優依)の存在なのだが、後段のライフレッスンの模様からしてもリアルの訪問は一度もなかったのだろう。

 また、大学紛争当時のものの引用と思しき台詞があったり、少年の父親が息子の恋愛対象の理想イメージとして微かな笑窪のかわいい“檀ふみ”などと言ったりする一方で、最後に携帯型のビデオカメラによる撮影場面が登場することから、いったいいつの時代の作品なのだろうと訝りつつ、小学生の引き籠りやLGBTを扱った題材の現在性に瞠目させられるようなところがあった。

 少年が主人公だが作者は女性だし、もしかすると檀ふみの件は、女の子らしくないなどと言われていたのかもしれない作者がかつて父親から言われた実体験に基づくものではないかなどと想像して帰宅後に検索してみたら、奇しくも還暦を迎えたばかりの僕と同じ生年だった。それなら、大いに得心がいく。作品は、'90年代のはじめのほうのもののようだ。ホームビデオも既に普及し小型化していたように思う。さすれば、モチーフの先進性にはかなりのものがあると改めて感心した。

 しかし、そのこと以上に響いてきたのは、当日配布のリーフレットのあらすじに記載されていた「大事な人が消えていく度に、大事な物が消えていく度に学んだ、生きていくためのライフレッスン」との記述で、あの些か面倒臭さが強すぎる父親の元を去って行った母親(登場しない)や亡くなった愛犬(墓標のみ登場)に対する喪失感が少年にあったにしても、リーフレットの制作に名前がクレジットされている前田澄子さんが先月に満26歳の若さで亡くなっていることを知っている身には、そのことを抜きには観られない作品でもあった。

 本作の11歳になったばかりの少年が、人の状況は十年ごとに変わっていくとして、二十歳の自分、三十歳の自分、…六十歳の自分、その後の自分を夢想するという形で、未だ生きていない時間を少女とともに演じるライフレッスンを観ながら、非常に複雑な思いに駆られた。この舞台を演じ作っていた劇団の仲間たちの心中にはいかばかりのものがあったことだろう。




 松山の劇団パッチワークスの企画による4都市公演での高知の演目は、ティッシュの会【大阪】による『にぎる』、World Wide Works作品『風習』のシアターホリックによる上演【高知】、島根県雲南市の劇団ハタチ族による『10万年トランク』、そして、パッチワークスによるタイトル不詳作だったわけだが、その積集合に当たる部分は何なのだろうと振り返ってみると、スタイルはそれぞれ大きく異なっていたけれども、いかにも若者らしい“生への問い掛け”があるように感じた。

 最も面白く観たのは最後に置かれたパッチワークスの演目だったように思うが、それでも、4作品120分余を観て、もっとも印象深く残るのが中島みゆきの♪ファイト!!♪の言葉だったりするのはどうよと思わぬでもなかった。ただ、パッチワークス主宰の村山公一が演劇とは何か、ということに関して、舞台と役者と観客があれば成立するものとの言葉を引用して、ステージ前に観客の象徴に見立てた空の椅子を置いたことで、これまた如何にも定義のしにくいフーゾクなるものが何だろうということに対し、客とフーゾク嬢と風呂なりベッドなりの場があれば成立するものとして示しているようにも思えたことがちょっと面白かった。




 東京から初参加した立本夏山のひとり芝居は公演チラシが喚起していた野性的イメージとはまるで異なる精神性の高いステージで、大いに意表を突かれた。若い時分に手にした『高村光太郎詩集』(彌生書房)が今も書棚にあるけれども、ナルシスト的イメージを強く持つようになった高村に対する僕の関心は最早あまり高くなく『智恵子抄』にしても、十四年前に観た同名映画['67]に感じた美化された純愛物語の印象が強かったのだが、その映画のような作劇とは全く違っていて、高村光太郎の詩そのものをダンスをしながら読み上げていく作品だった。

 踊りながらの詠唱ではない朗読というのは、動きがあるぶん却って難しいのではないかと思うが、言葉が命とも言える詩の言葉をいささかも乱すことなく、明瞭に聴かせる技量と身体づくりは大したものだと感じた。立本夏山はまた声質がいいので、より引き立つように感じた。

 ポスト・パフォーマンス・トークでの話によれば、レモンを添えてステージ中央部に置かれた像は、立本自身のオーダーによるもので、イメージプランも彼自身が出したもののようだが、どことなくロダンの『ベーゼ』を抽象化した風情を漂わせていて、とても似合っているように感じた。

 緑の光、桃色の光でときどきに映し出されていた人型の動きは何だったのだろう。緑が光太郎で桃色が智恵子だったのだろうか。あまりピンとこなかったけれども、僕が生まれる二年前に逝去している明治生まれの詩人の作品を現代に蘇らせるうえで、ダンスという手法だけでなくテクノロジーの部分を盛り込むことの意味というのは、何となく分からないでもない。なかなか意欲的で、興味深い公演だったように思う。しかし、チラシのほうの野趣だけは、どうにも不可解だった。




 何事によらず自然体が好きで、高校の卒業アルバムのクラス標語に上杉鷹山の名言として知られる「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」をもじって「成れば成る 成らねば成らぬ 何事も 成るも成らぬも 事の成行き 〜自然流〜」などという不埒なもじり歌を掲載していた僕は、クスリもサプリもダイエットも嫌いだから、ギラギラ薬局の処方する“107歳までギラギラしながら生きる”クスリなどにはまるで心惹かれないのだが、主要メンバーが四十路に入っているとは思えないシャカ力の舞台のキレのいい身のこなしにはかねてより大いに魅せられている。今回もそのあたりは健在でなかなかのものだと思った。なかでもAI阿野田由紀のピッチングには感心した。

 そんなシャカ力でも、年齢ネタを正面に据える歳にはなっているのだなと、むしろ青年の心に目を向けているように感じられた前回ラリー公演の『シャカロック』に比して、歳相応の問題意識を作品化しているような気がしたが、作者が行正忠義から井上琢己に変わっても、ストーリーで物語ろうとせずにイメージ力で語ろうとするシャカ力の創作姿勢に変わりはない。

 驚いたのは、劇中で語られていた「2007年以降に生まれた日本人の50%以上が、107歳まで生きる可能性がある」というものが、実際に公表されている説だとの井上のPPTでの話だった。チラシにあった釈迦像からも、てっきり百八つの煩悩との関係のなかで創作されたものだろうと思っていた。奇しくも客席からの質問にそれと同じ意図からのものがあって、井上が回答したものだが、その答えにはすっかり意表を突かれた。











  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/ 

 (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

 (『ヤマさんのライブ備忘録』)





posted by アーツワークス at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・パフォーマンス系
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