2018年07月13日

'18. 7.13. 高知パフォーミング・アーツ・フェスティバル2018 「雅歌」









'18. 7.13. 高知パフォーミング・アーツ・フェスティバル2018 「雅歌」

会場:県立美術館中庭

コンセプト・演出・舞台美術:向井山朋子

振付:山田うん

音楽:マキシム・シャリギン

舞台美術・衣装:ティン・ゴング

技術監督:遠藤 豊


 二か月前に観た『HOME』がなかなか面白かったので、観に行くことにした公演だ。チラシに謳われた“現代に生きる私たちに新しい儀式をつくることは可能なのだろうか”に、果たしてどのようなものが始まるのだろうかと見守っていたら、中国の民族楽器だとの瓢箪の先に笛を取り付けたような楽器を八人で奏でる、雅楽の笙の音に似た響きが、この会場特有の尋常ならざる残響の効果で何やらが只ならぬことが起こりそうな空気を醸し出し始めた。


 すると、神事に使われる御幣に包まれたか封じ込められたかの何物かが現われ、ちらりと鳴子の姿を覗かせたように見えた。と思ったら、脱皮とも誕生とも言えるような動きによって裸身の女性が現れ出てきた。鳴子を垣間見せるのは高知公演だけのオプションなのかもしれないが、それが“よさこい”というエネルギッシュな生命の躍動をイメージさせるものだから、露にされた乳房や長い黒髪の豊かさが“生命の息づき”をシンボライズしているように感じられた。


 その“生命の息づき”を静かに呑込んでいったのが巨大な銀幕だったわけだが、ちょうど西日本が大規模な豪雨災害に襲われたばかりだったせいか、僕には洪水のように思えて仕方がなかった。和太鼓を叩いていた神崎智紀が最後に見せていた神事の祈りのようなものが慰霊に見えたのは、ここ数日の災害が僕に及ぼしたもののように感じた。そうでなければ、御幣のなかから出てきた者は生贄の儀式に捧げられた供物のように映ったのかもしれないという気がする。


 たまたま会場で久しぶりに出会った友人とともに観覧したのだが、何の儀式だと思ったかと問うと、「何の儀式かは浮かばなかったけれど、あの押し寄せる銀色の流れは氷河だと思った」と返ってきた。そのそばから「日本で氷河というのもヘンだけど」と言った彼女に「遠い遠い昔にはあったことだから、日本で起きても不思議ではないよ」というと、それもそうだと喜んでいたが、僕には“氷河”はまるで想定外だったから、なかなか面白いと思った。


 公演後のアフタートークでは、向井山朋子に山田うんという作り手にゲストとして安藤桃子が加わり、わりと率直な話が交わされ、けっこう興味深かった。神事絡みだったからなのかもしれないが、安藤桃子から提起された“穢れ”ないしは“不浄”というものに係る“脱皮”ないしは“禊”のイメージというのには、少々意表を突かれた。不浄のイメージを誘われるものを感知する部分など、僕には全くなかったからだ。「氷河かぁ、不浄かぁ」と反芻しながら帰途に就いた。




『HOME』http://arts-calendar.sblo.jp/article/183263547.html











  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/ 

     (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

     (『ヤマさんのライブ備忘録』)





posted by アーツワークス at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | コンテンポラリーダンス・バレエ系
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