2020年06月07日

“西洋近代美術にみる 神話の世界”展 










'20. 6. 6.   “西洋近代美術にみる
神話の世界”展   
会場:高知県立美術館



序章「古なるものへの憧れ」に続いて四章からなる標題の企画展示を観覧してきた。標題には「神話の世界」とあるが、想像上の古代風俗を描いた作品も含んでの展示なのだから、序章タイトルに示されているように「ギリシャ・ローマ時代への憧れ」展と題するほうが相応しいように感じたけれども、タイトルの訴求力から神話を前面に出したのかもしれないという気もした。どこの章だったか、第U章だと思うが、ニンフを描いた場合などは神話世界を描いたのか古代風俗を描いたのか判然としないといった解説がされていたが、ギリシャ・ローマ神話に描かれる神々の世界は、神話画と風俗画との区別がしにくい程に人間臭い物語世界であって、宗教絵画が描き出そうとするものとは自ずと異なってきているようには、展示作品の数々を観ていて確かに感じた。宗教絵画群には感じられない類の描き手の“憧れ”がいずれの作家たちの作品からも立ち上っていたように思う。



第T章「甘美なる夢の古代」で目を惹いた作品は、少年性を漂わせた女性が月桂冠と同色の緑色の服をまとっていて恰も“月桂樹の精”であるように描かれていた『月桂冠を編む』(フレデリック・レイトン
1872油彩)、神話の世界展なのに何故に風俗画なのだろうと最初に思わせてくれた『お気に入りの詩人』(ローレンス・アルマ=タデマ
1888油彩)と『世界の若かりし頃』(エドワード・ジョン・ポインター
1891
油彩)だった。チラシの表を飾っていた『お気に入りの詩人』では、窓から覗く建造物の輝きが何処か神話性を醸し出しているようにも感じられ、薄衣をまとった女性たちが金魚の泳ぐ室内池だか水浴室で戯れ、まどろむ『世界の若かりし頃』では、遊戯とまどろみの仄めかす現実世界からの遊離が神話世界に通じているように感じられて、とても気に入った。ジョン・ウィリアムス・ウォーターハウスの油彩画『フローラ』(1914頃)は、妙にぼんやりしていて、僕の内にあるウォーターハウスのイメージと違い、意表を突かれた。また、ここでは1階のコレクション展で先ごろ観覧した高知県立美術館所蔵のマックス・クリンガーの『オヴィディウスの変身譚の犠牲者の救済』が展示されていたので、1階ではどうしているのだろうと確かめてみたら、コレクション展では1882年版、ここでは1879年の初版を展示しているのだった。当館は、同じ作品の両方を所蔵しているのかと驚いた。



第U章「伝統から幻想へ」では、二つのリトグラフ作品が気に入った。アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの原画による『ダナエ』(イアサント・オーブリー=ルコント
1824
)に惹かれ、オノレ・ドーミエ作品集の『古代史』のなかの『タンタロスの拷問』1842)が面白かった。ここでは、アングルの『ユピテルとテティス』1807-25頃油彩)も展示されていたのだが、第T章で展示されていた同じ画題のジョン・フラクスマンによる『アキレウスの名誉を救うようゼウスに懇願するテティス』1793ラインエングレービング)のほうが僕は好いように思ったので、チラシにはフラクスマンの作品図版のほうが掲載されていることに納得感が湧いた。



第V章「楽園の記憶」では、ラウル・デュフィの作品群に惹かれ、なかでも『ヴィーナスの誕生』1937油彩)が面白かった。今回の展示で僕にとって最も新鮮に感じられたのは、このラウル・デュフィの作品群だったように思う。また、ここでは高知県美所蔵のシャガール・コレクションのなかでも僕の好きな作品集『ダフニスとクロエ』1957-60リトグラフ)が展示されていて、改めてその色合いの鮮やかに観惚れた。




第W章「象徴と精神世界」で気に入ったのは、ジョルジオ・デ・キリコによるブロンズ作品『孤独な詩人』1970)とマッタによるエッチング、アクアチント作品『薄暗いアーチのある時間』1973)だった。各章に思いのほか数多くの著名作家による作品が展示されていて驚いたが、特に目を惹く作品でもなかったことが却って興味深く感じられた。















  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/


   (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

   (『ヤマさんのライブ備忘録』)






posted by アーツワークス at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術系