2019年11月16日

からくり劇場公演No.4『ザ・空気』








'19.11.15.   からくり劇場公演No.4『ザ・空気』


会場:蛸蔵  


 さすが永井愛の作品だと感じ入りながら、では、どうすればいいのだろうと些か苦しくなった。二年前の作品だというから、本作で「この二年間ですっかり変っちゃいました」との台詞があった二年が、いま経っているわけだ。それで言えば、まだ憲法の改定はされていないが、報道現場における空気は、自殺した桜木や未遂になった今森俊一(谷山圭一郎)編集長のように憤り抗う者が組織のなかにはいなくなってしまい、鬩ぎ合いのなくなったものになっているのではないかという気がした。


 本作の毎朝テレビに限らず、報道マスメディア組織のトップが政権トップと会食を重ねる状況で、そうそう“面従腹背”を貫ける人物がいるはずもなく、経営責任の名の下に組織防衛に重ねた保身を図る状況下にあれば、現場において、本作に描かれたような状況が日常的に重ねられたであろうから、その二年の積み重ねは、決して侮れない気がする。


 来宮楠子(小野純子)キャスターが経営責任の一角を担う役員に転じていたりする姿は決して彼女に限られたものではないはずで、丹下百代(別役和美)ディレクターが辞め、残ることができているのは、本意か不本意か無頓着かは不明ながら、ネトウヨ的勢力に加担するに至っている花田路也(木村塁)エディターと、“空気読みの達人”とも言うべき“中立”論者の大雲要人(刈谷隆介)アンカーだけだった。


 そうなってしまうのも仕方ないかもしれないと思われるストレスフルな状況がひしひしと伝わってくる芝居になっていたように思う。ついついマスメディアに対する憤慨に見舞われることの多い昨今だけれども、これだけのストレスに日々晒されることに持ちこたえられる人のほうが少なかろうと思えて仕方がなかった。現場に決定権が保障されていない問題の根はとても深い。


 情けなくてしようがないのは、現場にこれだけの苦渋を飲ませる「ザ・空気」を醸成している側には、きっと“弾圧”や“検閲”などといった大それたことをしているような自覚がなく、単に選挙に勝ちたいためだけの範囲のことでしか考えていないように思えて仕方のないところだ。現政権が、選挙目的・政権維持のためだけにしていることに過ぎないと思っているであろうことによって、その現場にいる人々の良心をどれだけ破壊し、彼らが帰属し構成している組織の社会的装置としての機能を損なっているかを思うと、本当にやり切れなくなってくる。官庁にしても、教育界にしても、法曹界にしても、現場の受けているダメージは測り知れない。


 麻生太郎が首相となって後に下野してから、対立軸を打ち出すためと称して極端に国家主義的色彩を帯びると共に、「貧格」と言うほかない壊れ方を晒してかつての自民党とは全く異なる政党となりながら、なお昔の名前で出る欺瞞を重ねていることが我慢ならない気がしてくる。


 映画『主戦場』で仄めかされていた、政権がネトウヨや日本会議に資金提供して政権批判勢力にバッシングを加えているという構図が仮に事実だとすれば、アメリカがかつてカネも人も出して育てあげたアルカイダに手どころか心臓部を噛まれたようなことが、日本国内で起こるのではないのかとの危惧さえ生じてくる。


 からくり劇場が前回取り上げた『歌わせたい男たち』(作:永井愛)も相当なものだったが、それ以上に深刻な作品だと思った。


































  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/


   (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

   (『ヤマさんのライブ備忘録』)




posted by アーツワークス at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・パフォーマンス系