2019年10月07日

リーディング公演『赤の法廷 vol.1』








'19.10. 3. リーディング公演『赤の法廷 vol.1』


会場:REDスナック





 すれ違うこともままならないスナックのカウンターの内側に三人が並んで、「猿蟹合戦」に材を得た法廷劇をETVがやったものを援用する形で、裁判員に見立てた客に問い掛ける寸劇を観たのだが、思いのほか面白かった。


 TVと違って、検事・弁護人それぞれの最終弁論を聴いた後、予め用意された小さな紙片に猿への判決意見を記し、その集計を受けて判決を下すという趣向になっていた。


 死刑に賛成なら有罪、死刑に反対なら無罪と記して意見を添えるか否かは自由という投票ルールに対しては、死刑反対が一気に無罪か?との疑問が湧いたが、投票結果が「有罪7−無罪10−棄権2」となったことに驚いた。


 被告のサルは、事件当時8歳で学校に行っていてサルの青柿礫を免れた証人のカニの母蟹のみならず妹蟹まで殺していて、奪った命は一つではないながらも、8年間の逃亡生活の間に改心もし、家庭を設け今や子煩悩な一児の父となっている28歳の青年で、八つ当たり的な癇癪を若気の至りで起こしたことを反省し、毎月5万円を8年間送り続けてきているということが証言により明らかになっていた。


 16年前に観た『刑務所の中』の拙日誌に記した「死には死を」といった応報刑によって還って来る命はないのだから、そもそも死刑自体に懐疑的な僕は、償いとは、不断に悔い改めることにあると思っているので、紙片にはその旨記載した。加えて今回の設定では、サルは自ら定めた見舞金を毎月送り続けるばかりか、自らが家庭を持ったことで自分がカニの家庭を壊した罪深さが身に沁みている様子だ。そんなサルに死刑を課して、今度はサルの息子から親を奪うことが、果たして“社会正義”の名の下に行われるべきことだろうかとの想いが強く湧いた。だから、死刑反対の意見のほうが上回るだろうとの予測は当たったのだが、驚いたのはむしろ、死刑反対の得票が辛くも過半数に留まった投票結果だった。


 山田憲人【おさらい会】の演じた検事の重々しい口調に説得力があったということなのか、「刑罰」というように、思いのほか多くの人々が刑を「罰」として側面で捉えていて、事犯の重大性を以て判断する傾向が昨今の厳罰化機運のもとに醸成されているからなのか、興味深く感じた。思わず主催したREDのママ鍋島恵那【劇団彩鬼】に、2回目の公演の投票結果を訊ねてみたが、奇しくも1回目と全く同じだったとのこと。判事や証人のカニを演じていた清里達也【TRY-ANGLE】が栗・蜂・臼・糞の助力を得て復讐的私刑を下す機会を得ながら、「なぜか殺すことはできませんでした」とも証言していたのに、被害者でもない者が被害者感情を理由に厳罰化を求める風潮が確かに浸透してきているような気がして、不寛容の時代を象徴しているように感じた。


 被害者へのケアはもちろん必要なのだが、それは加害者に対する措置によってではなく、直接、被害者に対してなされるべきものだ。それなのに、そちらのほうはむしろないがしろにする形で、加害者に対する措置のみが喧伝されている気がしてならない。必要なのは、被害者が見舞われる拭い難い報復心に応えることではない。その報復心を否定することなく、報復心への囚われから解放することだと思われるのに、むしろ報復心を煽るようなことさえしている向きがあるように感じている。善後策として大切なことは、抽象的で口実的な“社会正義”ではなく、具体的な“被害者へのケア”だと思う。加害者に極刑を加えることを以て“被害者へのケア”だというのは欺瞞以外の何物でもない気がしてならない。





『刑務所の中』の拙日誌


http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2003j/07.htm








  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/


     (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

     (『ヤマさんのライブ備忘録』)




posted by アーツワークス at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・パフォーマンス系