2019年04月07日

クリスチャン・ボルタンスキー[Lifetime]  会場:国立国際美術館









'19. 3.24.  クリスチャン・ボルタンスキー[Lifetime 



                      会場:国立国際美術館



 同日に開催されていた第17回中之島映像劇場“回想の岩佐寿弥”もそうだったが、実に刺激的で、触発されるものがたくさんあり、提示される個々の作品を越えた部分での作家性というものが作品全体を通して浮かび上がってくるように感じられる展示だった。



 入口の青い電光掲示作品Cat.38『出発(DEPART)』から出口の赤い電光掲示作品Cat.39『到着(ARRIVEE)』に至るまでの[Lifetime]を過ごしながら、通常の展覧会観覧とは異なる体験感覚を味わった。入室早々に配置されていたCat.1『咳をする男』が実に強烈で、吐血しながら座して痙攣している男の白く腫れあがった顔面の虚ろな表情の醸し出す苦悶が、隣室に掲示されたCat.30『心臓音』の刻む大音量の鼓動と相俟って観ている者を戦慄させる展示になっていた。一緒に観覧した友人は、その監禁拘束されているようにも見える風情からか、拷問虐待を想起したようで、壁に掛けてあったヘッドフォンを耳に充てると聞こえてくる咳込みの音に怯んでいた。心臓音の間を通り抜ける紐簾のカーテンには人物の顔が大きく投影されている(Cat.34『合間に』)のだが、とにかく随所に夥しい数の老若男女の写真が掲示されていて、総じて暗い展示室に意味ありげな光の明滅が揺らぎの視覚化として提示されるものだから、自ずと人の命を思わせるとともに、大量の色とりどりの衣服の集積(Cat.20『保存室(カナダ)』)が提示されたり、Cat.21『死んだスイス人の資料』Cat.22174人の死んだスイス人』が展示されていると、たとえカナダ、スイスといった断り書きがあったとしても、やはりアウシュビッツなどの収容所を想起せずにはいられなくなる。



おまけに一際あかるく大きく広がった空間の3面スクリーン(Cat.44『ミステリオス』)で映し出された恐竜とも鯨とも知れない巨大な骨格の映像と共に断末魔のような叫びが聞こえてきているのだから、なおのこと苦しい想いが湧いてくる。加えて僕らは、出口近くに配されていた死の天使の影を映し出すCat.6『影(天使)』Cat.7『影』、あるいは「来世」の文字が電光掲示されるCat.47『黒いモニュメント、来世』を先に観ていたものだから、自ずとそうならざるを得なかった。でも、自身の観賞体験としては、結果的にそのことが効果的に働いたように感じている。Cat.8からCat.14にかけての一連の『モニュメント』と名付けられた作品を配置した居室の醸し出す“鎮魂の間”とも言えるような神聖な空気に触れる気持ちになった。



そして、今回の展示でも最も心打たれたCat.42,43『アニミタス』を前に座し、暫くの時間を過ごすなかで得も言われぬ感情体験を果たしたように思う。とりわけCat.42『アニミタス(チリ)』では、展示作品目録の解説に記されている「ボルタンスキーが生まれた日の夜の星座の再現」とは異なる意味を受け取った。草しか生えない砂漠に突き立てられた細長い棒に取り付けた風鈴とそこにぶら下がる御札のようにも見える白い紙がたなびく様子を映し出した映像と透明感のある音色で鳴っている風鈴の響きが慰霊のイメージを想起させ、一緒に観賞した友人が奇しくも語っていたように、数多ある風鈴の一つ一つが夥しい数の写真によって示されていた名もなき人々の想起させる“犠牲者の魂”と重なって見えてきたのだった。



実際、これをもって星座の再現だとボルタンスキー本人から言われても承服しがたいような確かなイメージとして映って来たし、2つのスクリーンの裏側になる隣室に、今度は色とりどりではなく黒一色のコートをうず高く積み上げたCat.41『ぼた山』を配置し、傍に近寄ると日本語や英語で「それは突然に来たのか」とか「そのときはどうだったのか」と黒いコートの彼岸の番人たちが問い掛けてくるCat.32『発言する』をその『ぼた山』の周囲に配してあるのだから、紛れもないことのように思われた。そうしてから入口に戻り、広い前室スペースに置いてあったVTRで、単なる鑑賞ガイダンスに留まらない長尺のアート・ドキュメンタリーを2作品観賞していたら、案の定、『ショア』への言及があり、ユダヤ教の聖職者ラビと仏教の禅師との間のような存在についての言及があったりして、大いに得心したのだった。



ボルタンスキーは、キリスト教徒の母とユダヤ教徒の父の間に生まれたようだが、祖母が日本人であるような発言もあったりして、相当に複雑な家庭環境にはあったようだ。さすれば、自身が何者であるのかというアイデンティティ問題は、生涯の課題なのだろう。己が生の時間を秒数で示し続けるカウンターを作家蔵のCat.37『最後の時』として展示していたLifetimeの濃密な時間の一部を体感させてもらった手応えがずっしりと残った。友人の提案により最後に再び入室して、最も気に入ったCat.42『アニミタス(チリ)』の前に座してみると、時間の経過によって映し出される景色が昼の時間帯になっていたのか、めっきり画面が明るくなっていて感動を覚えた。加えてもう一つ、とても気に入った作品であるCat.45『黄金の海』を改めて観覧してから退出した。





昼食後、B1F講堂で岩佐監督の映画作品『眠れ蜜』を観てから、本展に合わせて企画されたコレクション展“見えないもののイメージ”を観覧した。「T.死者へ/U.作者へ/V.天空に/」との構成で展示された作品群は、自ずと死や苦のイメージを誘うものが散見されるものとなっていた。友人の眼は余り惹かなかったらしく不満気だったが、僕にはいくつか興味深い作品があった。



やはり「T.死者へ」にあった作品が多く、マーク・クインによる立体作品『美女と野獣』の素材感が目を惹き、アンゼルム・キーファーの『星空』が僕のなかにある作家イメージを更新してくれる新鮮さを与えてくれた。また、高知県美でも見覚えのある本県にゆかりのある塩田千春の作品が5点(『私の死はまだ見たことがない』、『トライ
アンド ゴーホーム』、『眠っている間に』×2、『トラウマ/日常』
)も展示されていたことや、病的にも映る工藤哲巳の作品群(『水槽の中のあなたの肖像』、『危機の中の芸術家の肖像』、『遺伝染色体の雨の中で啓示を待つ』、『人間とトランジスタの共生』)が目を惹いた。


「U.作者へ」では、吉田克朗の「触」シリーズ2点(『触“体-63”』、『触“体-65”』)。「V.天空に」では、日高理恵子の岩絵具による『葉光(ドローイング)』『樹を見上げてX(ドローイング)』が気に入り、イリヤ・カバコフによる『天使と出会う方法』の天使の大きさが妙に気に掛かった。








  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/


     (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

     (『ヤマさんのライブ備忘録』)




posted by アーツワークス at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術系