2018年09月10日

'18. 9. 7.  ハイバイ公演『て』









'18. 9. 7.  ハイバイ公演『て』

会場:県民文化ホール・オレンジ


 何とも掴みどころの無いタイトルの芝居だが、中身そのものも何だか据わりの悪い後を引く感じが残ったのは、まさしくそれを作り手が企図しているからではないかと思った。大黒柱のない家の柱が地に着かず宙吊りになっている不安定な柱構造の舞台装置が利いていて、時に家が傾きつつも柱は素知らぬ顔で垂直のままだったりしているところが意味深長で、微妙に異なるリフレイン構成にして同じ場面を二度描いている意匠が目を惹いた。

 しかし、無闇に挑発し合い攻撃的になる家族関係の生々しい毒舌や威嚇の言葉を聞きながら、少々辟易としてきたのは、ひと回り目の二男次郎(田村健太郎)の長男太郎(平原テツ)に対する物言いや、長女よしこ(安藤聖)の次女かなこ(湯川ひな)に対する強迫に、独善的で思い上がった自己拡張と威圧を感じ、その根幹にあるものが血縁関係へのネガティヴな甘えに他ならないように感じたからだろう。作・演出の岩井秀人は、家族に対して只ならぬ確執や屈託を抱えているのではないかという気がしてならなかったが、アフタートークで、図らずも率直にそのことを披瀝していて驚いた。

 暴力的な父親のもとに育ち、うまくいかない家族が、認知症の祖母が92歳で亡くなった際の葬儀のときに久しぶりに一堂に会していがみ合ったという話は、岩井秀人の家の実話そのものなのだそうだ。実際の牧師は、舞台に登場した牧師(松尾英太郎)以上にひどい有り様だったけれども、あまりのことに現実味がなくなりそうで緩和したというようなことも語っていたが、本当にそうだったのだろうか。開幕早々から矢鱈と牧師に毒づいていた次郎のファナティックなまでの自己拡張キャラを印象づけるためだったような気がしてならない。そして、怪しい牧師同様にヘンな人としてコンビニ店員の話をしつつ、それに逆上してコンビニで暴れたという自身のことをホンにしてNHKで作品にしたとも語っていたが、それが事実なら店員のキャラ以上にオカシナ人物だとしか思えない気がして、騙りのような気がしてならなかった。それとも、そういうヘンな人は類が友を呼ぶようにして本当にヘンな人ばかり呼び寄せるのか、それとも、本作が示していたように、ヘンに映るのは岩井のほうがヘンだからこそで、別の目には必ずしもそうは映らないということなのか。

 アフタートークの話ではどうやら父親は外科医らしい岩井が、暴力的な父親のもとに育った自分の家の話だと解題していた本作において、家では「て」を出し金を入れない父親としていたことについても、そういった部分が家族からの台詞でしか語られない父親(猪俣俊明)の客席の目に映る人物像は、本作に登場した男三人女三人の六人家族のなかで、ある意味最もマトモで激することのない人物だったような気がする。アフタートークで何に対しても明快饒舌に語っていた岩井が唯一、言葉を濁したうえで元々は祖母菊枝(能島瑞穂)が手にしていた義手のことだと言っていたけれども、実は前述した意味合いでの「て」であり、もっと言えば、目に映るものが全てではないと同時に、映る目にとってはそれが全てであることを現出させる手段としての「て」だったりするのかもしれないなどと思った。そして、アフタートークで開陳しているようで幻惑しているように映るトークも、岩井の「て」なのかもしれない。








  ヤマ

http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/ 

   (『間借り人の映画日誌』)

http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html

   (『ヤマさんのライブ備忘録』)





posted by アーツワークス at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・パフォーマンス系